南大萱資料室

織部古墳と三角縁四神四獣鏡

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織部古墳と三角縁四神四獣鏡

織部古墳と三角縁四神四獣鏡

図2 織部古墳から出土した
三角縁四神四獣鏡(直径23.1cm)
古墳は、明治45年(1912年)、瓦の原料にするために土採りを行っていた際に発見された。この古墳は、直径約30m、高さ3mの円墳で、石室などを造らず、木棺か粘土で覆うかしたものであったと考えられている。出土した遺物は、三角縁四神四獣鏡(図2)、鉄斧、鉄剣などで、発見者の片山幸太郎氏から東京国立博物館に寄贈されている。
そのことが、大正3年8月5日発行の『考古学雑誌』の彙報欄に「近江國瀬田村の発掘品」と題して、「近江國栗太郡瀬田村大字南大萱字織部に於いて、去明治45年3月20日発掘せられたる、四神四獣鏡・・・同地の人片山幸太郎氏より東京帝室博物館に寄贈せられたりという・・・」との記事がある。その後大正10年(1921年)に京都大学(後名誉教授)梅原末治が現地調査を行い、『考古学雑誌』に報告書を書いている。

さて、副葬品の内、特に注目されるのは三角縁四神四獣鏡の銘文が、日本古代の謎とされる弥馬台国と関係が深いことにある。中国の歴史書である『三国志』の『魏書東夷伝』の倭人の条に弥生時代の終ころの日本のことが記されている。それによると当時、弥馬台国の女王卑弥呼が中国から銅鏡100枚などをもらっており、国々のものにそれらを分け与えるよう指示されている。この銅鏡100枚のうちの一枚がここ織部古墳から出土したものではないかとも考えられるのである。銘文中「銅出徐州 師出洛陽」が「徐州で産出した銅で、洛陽の工人が鏡を作った」と解釈でき、この条件を満たす時代は魏の時代しかありえないことが主な根拠である。また、この鏡と同じ鋳型で作った兄弟関係の鏡が複数存在し、黒塚古墳(天理)、北山古墳(向日市)、湯迫車塚古墳(岡山)などで、他の三角縁神獣鏡にも奈良県や京都府を中心に兄弟鏡の分布が知られていることから、卑弥呼が全国に配った結果ではないかとの根拠にもなっている。ただ、この鏡が、肝心の中国から一枚も出土していないことから日本製であると考える意見もある。

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