昭和58年(1983年)に、滋賀県教育委員会が現東光寺本堂の200m程南西のマンション建設地の発掘調査を行った。19年後にまとめられた報告書によると7世紀後半から8世紀前半にかけての3間×3間(5m×5.5m)の総柱高床式建物(倉庫?)、井戸、溝等と、11世紀後半代の8間×6間、4間×3間の大型の掘立柱建物2棟、溝等の、2時期の遺構群が見つかった。遺物は2時期を合わせて多量であり、総量はコンテナ150箱に及ぶ。種類別にみると、土器類約70箱、瓦類約70箱、金属器類1箱、石製品類1箱、木製品類8箱の他、動物遺体、植物遺体等がある。なかでも、呪符木簡、海獣葡萄鏡、墨書土器の出土は特筆される。
この内、下層の遺構群からは、溝から多数の須恵器・土師器、製塩土器、丸瓦・平瓦、海獣葡萄鏡、木簡、鍛冶関連遺物(鉄滓やフィイゴの羽口等)、井戸跡からは墨書土器、円面硯、転用硯以外に馬の下顎骨の右半分(殺馬祭祀?)が出土している。これらから一般集落とは考えにくく、①従来同様、古代寺院である可能性は残る、②瀬田丘陵の窯場からの製品搬入、選別、消費地への分配する流通拠点も考えられる。いづれにしても早急な結論付けはできないと結んでいる。
しかしながら、瓦類、鍛冶関連遺物の整理は後日報告となっていて、今日まで未報告。現地説明会資料には、北大萱の宝光寺遺跡で出土している珍しい特殊文様軒丸瓦がここでもかけら程度ではあるが出土しているとある。宝光寺遺跡は白鳳時代創建寺院で、瓦積基壇が発掘されている。従って特殊文様軒丸瓦は両遺跡の関係を読み取れる。
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