文明2年(1470年)、蓮如上人に帰依した矢橋城主の治田兵庫助光次は浄覚の法名と六字名号を受け、本願振興の道場を草創した。明応2年(1493年)、その孫の紀伊守宣行が釈門に入り剃髪して蓮如上人より浄念の法号を受け、一宇を建て大萱北道場を興し、善念寺の開基となった。延宝9年(1681年)、7世祐三の時、善念寺の寺号が許され、御丈2尺の阿弥陀如来木仏が本尊となった。寛延4年(1751年)、12世俊瑞の時、膳所響忍寺より桁行5間1尺、梁3間の古堂を移築して本堂とした。その後、天保年間(1833年~1844年)の改築を経て、平成の新築本堂となった。安永4年(1775年)、13世宗閑の時、口輪2尺3寸の釣鐘ができたが、第二次世界大戦で金属供出の対象となり現存しない。
蓮如上人に帰依し善空入道と名乗った六角修理大夫高頼に仕えた山本義廉は和邇で戦死するが、その子義胤は文明14年(1482年)、大萱に身を退き、善西と号して一宇精舎を創り、蓮如より受けた六字名号を安置して大萱山本道場を興した。本寺の創始であるが、善西の子山本義統こと善正が南道場と改称し、万福寺伝や栗太誌、大萱古文書には、開基を永世5年(1508年)としている。延宝5年(1677年)、萬福寺の寺号が許されている。安永年間(1772~1781年)には桁行5間1尺、梁3間の本堂に、2尺2寸の阿弥陀如来本尊と蓮如上人筆の六字名号などが祀られた。が、天明4年(1784)の大火で被災している。
永世5年(1508年)に道源が庵を結んだに始まり、慶長13年(1608年)、惣道場として道意が開いた。寛文10年(1670年)東佛山通徳寺の山号と寺号を得ている。東西7間、南北10間の境内に、5間3間の本堂、2間4間の庫裏、阿弥陀如来本尊等が祀られている。山門、鐘楼は昭和年間(1926~1989年)、本堂は平成年間(1989~2020年)に改築されている。
慶長7年(1602年)、大津京町の室町時代の名刹・華階寺の末として建立され、大塔山高林庵常楽寺と呼んだ。本尊の阿弥陀如来は元禄6年(1693年)に華階寺より申し受けたとあり、弘法大師作とある。脇立の観音・勢至の両菩薩は定朝作、座像の阿弥陀如来は恵心僧都作とも記されている。
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