中世は吉田神道に属しており、萱野神社の紋所が蓑亀であるのは、吉田家の祖が亀の甲を焼いてその裂け目から吉凶を占う亀卜(きぼく)の家筋であったかららしい。
また、膳所城主の崇敬も篤く、一丁四方の境内と神田5反を寄進されていた。そして、祭神の第九代開化天皇にちなみ「九代王大明神」、あるいは「九帝王宮」などと呼ばれてきたが、慶応4年(1868年)の「神仏分離令」にて「萱野社」と改称、明治2年(1869年)に「萱野神社」と改称された。
その後、明治22年(1889年)に国鉄東海道線が境内の真中を通ることになり、境内は分断され、社殿が移築された。その後も昭和44年(1969年)の東海道線の複々線化と瀬田駅設置などにより、大きく景観が変化している。
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